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やりたいこと、やるべきこと(高橋洋子さんのインタビューを読んで)

大人たちは、これから成長して大人になっていくこどもたちに、「やりたいこと」と「やるべきこと」を区別することを教えておいたほうがいいような気がしている。

やりたいこと=「自分の夢」。この場合、自分≒自我ともいえる。
やるべきこと=「自分が社会から求められていること」

その意味で、こちらの高橋洋子さんという歌手の方のインタビュー記事が面白かった。

自分が高橋洋子さんのことを知ったのは1991年頃。高橋さんは当時発売された松任谷由実さんの「WINGS OF LIGHT」というものすごいライブビデオでバックコーラスをやっていて、その後エヴァンゲリオンというアニメの主題歌を歌ってめちゃめちゃ有名になった方。

高橋さんが上記インタビューの中盤で話している内容が興味深い。以下抜粋。

これ勝手な持論なんですが、あの聖人のイエスは「YES(はい)」なんだなと思ったんですよ。「はい」と肯定すること。だから人(人間)の形をとっているイエスというのはひとつのシンボルであって、「YES」と言って生きていくことを主としたシンボルのメッセージなんじゃないかと思うようになったんです。

必要のないものは来ないと思うから。そう考えたら自分がイヤなことであっても多分必要なはずなんだと思うことにしているんですよ。だから、怖いんだけど「はい」って肯定していくといろんなことが円滑に回っていくんですよ。

「私が」とか「私の」とか言っているとそれは私の学びではないというか、そういう自我を外していくってことがたぶん勉強しなければいけないことだと思うから、それを外さないで痛い目に合うんだったら外してしまえばいいじゃないかと。怖いけど、イヤだなと思っていることをやると案外そうでもないんだなってこともわかってきたし。だからとりあえず「はい」っていう。

でも、一度は反抗したりするんですよ、「ええ? そんなのおかしいよ」とか「イヤだよ」とか言うんですけど、「いや、でも待てよ。これはもしかしたら夢のなかのテストかもしれないからちょっと”はい”って言ってみようかな」と。

「はい」と肯定していこうかなと思うのは、たんに痛い目にあいたくないという理由だけではなくて、「私」っていう拘束があるから生きてて苦しいんだと思うんですよ。それがなければそんなに苦しくないと思うようになって、それを実験中なんです。

想像している範疇(はんちゅう)のことって小さいんですよ。こういうふうになったらいいのになあって思うのは自分の思考だから。

自分で決めないということは何かに全託していることじゃないですか。ってことは、あたかも宇宙図書館を味方につけたようなものだから規模が違うんですよ。自分で決めるということは、たかだか自分が生きてきた記憶と知識のなかで組まれる方程式だから、自分のリサーチのなかのホントは100点でいきたいけどだいたい平均点くらいになるんですよ。相手がどう来るかわからない時点でのリサーチだから。でも、それすら決めない場合は、決めていないからもともとの平均点もないし、全部任せると想像もしないことが起きるんですよ。

ハチは花びらが見えずに花粉が見えるっていうでしょ。でも、私は花びらは見えるけど花粉は見えないんですよ。だから自分が見ているものが正しいんだと主張することくらいムダなことはないなってすごく思うんですよ。

みんなそのシンプルな形で生きれば楽なのにわざわざ難しくしてるんだと、自分も含めてそう思うんです。そういう意味でその人には「そうなんだ」と肯定するだけでいいと、そういうふうに思ったらシンプルになりました。日々そうだなと思うんです。