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なんのために

今日クルマの中でラジオをかけていたら、高橋源一郎氏がこの本を紹介していた。曰く、「この文章からは、”人に評価されたい”といった作者の感情が全く伝わってこない。他人の目、他人の評価をまったく気にすることなく、ただただ自分の心に浮かんだ気持ちがそのまんま書かれている。そこが多くの人の心を打っているのでは?」とのこと。なるほど。

そう考えると、自分が音楽をやるという行為についてはどうだろう。もともとは、ただただ純粋にやりたいという理由だけで楽器を始めた(小学校の時のトランペット)わけで、そのときは「有名になりたい」とか「プロになりたい」みたいな感情は文字どおりまったくのゼロだった。

が、そのうち、中学に入ってエレキギターを始めた頃から「これを仕事にしたい」という強烈な感情が生まれ、そのあとはひたすら「プロになること」だけを考えて楽器を練習していた。もちろん楽器を弾いていないと気が済まないというか、とにかく弾き続けてないと気持ち悪い、みたいなのはもともとあるのだけれど、一方で「プロになる」=>「有名にならなければ」みたいな感情も当然あった。

そしてその後、実際に楽器を弾いてお金をもらうようになると、今度は「プロとしてどうあるべきか」みたいな感情が出てきたり、引き続き「有名にならなければ」みたいな感情も継続していた(いる)。そしてそこには当然、人からどう見られているか、という気持ちが付きまとう。

というか、そもそも表現活動で自立することを目指している人で、他人の目を気にしていない人っているんだろうか? 

でも実際この場合、人の目をまったく気にせずに表現している人が結果こうしてものすごく「有名」になっている。本も売れているようで、いまアマゾンでは在庫ゼロの状態。

でもまぁ、個人的には、売れる・売れない・とか、有名・無名とか、そろそろどうでもいいかなって気持ちにもなってきてる。その証拠に?前回の「月刊インプロ」からベースを弾かずに、電子楽器もやらずに、ヘタくそなドラムを叩き始めた。一緒に演奏させてもらうメンバーには申し訳ないと思いつつ、どうしても打楽器で自分を表現してみたいという欲求が抑えられず、トライを始めた次第。もともとドラムは小学生の時、トランペットの次に「やってみたい!!!」と心の底から思った楽器であり、あのときからあの感情をずーっと引きずっているので。。。たぶんこのままこのへたくそなドラムを続けていると確実にベースの仕事は減ると思うが、まぁこういうのもありかなと。

以下、へたくそなドラムがばっちり映像に残されている。