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キースジャレットさん

きのうだったか、キースジャレットさんが大阪でのコンサートの途中で楽屋に引っ込んだニュースが流れていて、2ちゃんねるでも話題になっていたようだ。

しかしこの事象、コンサートに来た客も、2ちゃんねるの住人もみんな揃ってどうかしている。コンサートに来た客の行動はキースジャレットさんの音楽を知っているものとはまったく思えないし(知っていてやったとしたら、、地獄行きですな)、2ちゃんねるではキースジャレットさんのことを「プロじゃない」とか「小物」呼ばわりしていた。アホか。

今の日本のインターネット世界における2ちゃんねるの存在感はもはや誰にも否定できないものになってるし、2ちゃんねるのまとめサイトを空いた時間にスマートフォンで見ている人も決して少なくないと思われる。でもこういう、何も知らない人たちが適当に気分だけで書いてることも少なくないであろう記事を、自分の貴重な時間を使ってまでわざわざ読む意味が、果たしてあるんだろうか。

また、最近はインターネットの世界でも多数決の力が働いている。多くの人に「いいね」「お気に入りに登録」「共有」されなければ、いくら独創的な記事を書いてもインターネットの世界では意味をなさない。たとえそこで何かの拍子に多くの人から「いいね」され、メディアに拾われるようなことがあったとしても、後から次から次へと押し寄せる「いいね」「お気に入りに登録」「共有」された別の誰かの記事にあっという間に押し流されてしまい、持続性はない。毎日毎日、閲覧数を稼ごうとあの手この手で攻めてくる膨大な量の情報の渦の中に我々はいる。こういう状況なので、インターネットが一般にも流行りだしてからというもの、人々が何かを深堀りする行為が以前に比べて激減したのではないかと思う。音楽を聴くときなんかも、好きな曲のCDやレコードをそれなりのオーディオで聴き込む、ということをやる人も激減しているはず。なにせ、どこかの誰かが選曲してまとめてくれているものをYouTubeでちょろっと探して流すだけでオーケーな時代。誰の何という楽曲?誰の演奏?アレンジャー?そんなことは別にどうでもいいのだと思う。そもそも「音楽を買う」という行為自体がすでに多くの人の日常から消えて無くなっているわけで。。

。。話がそれた。考えるべきは、自分は情報を生み出す側になりたいのか、それともその情報を受け取るだけの側になりたいのか。新しい何かを生み出し情報として世の中に提示する側になりたいのなら、他の人とどれだけ違う発想ができるか、そしてそれをいかに形にするかを考えなければいけないが、そのヒントを、何やらいびつなマジョリティが支配する今のインターネット世界にいくら求めても到底目標は達成できない気がする。