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ライブ情報

安田陽が出演するライブの情報はこちらのページにまとめております。
2017年10月
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トラック野郎(一番星号とジョナサン号)が沖縄ロケに来ていた事実を発見した!!!!!っぽい。。

第11作目で予定されていたトラック野郎の沖縄ロケは幻に終わったとの話だが、、

この動画の27秒あたりに、沖縄を走る一番星号のシーンが出てくるではないか。。。一番星号の後ろにはジョナサン号もいる。。

実は沖縄に上陸していた一番星号。。。。。涙。

ただ、この場所がどこなのかがよくわからない。沖縄にこんな場所あったっけ?

truck2

まず気になるのが、(1)の看板が本物かどうかということ。小道具さんが作ったとも考えられなくはない。

ただ、拡大して見てみるとデザイン的にもしっかりと作られており(フォントや文字間隔など)、このたったワンシーンのための小道具としてわざわざ作られたものではないだろうと感じる。

つぎに気になるのが(2)の背景の海と陸地だ。いろいろ考えを巡らせたが、那覇から15キロ、糸満から21キロ、そして海沿いで、遠くに陸地を望む場所と言えば、、恐らくここしかない。

一番星号は恐らくこの円のあたりで撮影されたと思われる。ちなみにGoogle Mapで調べたところ、この円の真ん中にあるハートライフ病院から那覇市役所まで15キロ、糸満市役所まで20キロだった。そして矢印の先にあるのが背景に映り込んでいる陸地だ。

この撮影された場所がいったいどこなのか。厳密に特定するにはまだ時間がかかりそうだが、奥から手前に向かって上り坂になっていること、また、道幅が細いこともヒントになる可能性がある。少なくとも329号線などの幹線道路ではなさそうだ。

。。。と思いながらGoogleストリートビューを使って探していたら、非常に近い地形を見つけた。。県道34号線である。


トラック野郎自体の撮影はもう40年も前のことなので道路や周りの風景が変わっている可能性は充分あり、そしてなんといっても背景の海そしてその先の陸地の感じが、このトラック野郎の沖縄ロケ地と同一の場所ではないかという思いを強くさせるのは否めない。

そのようなわけで、結論。恐らくこの予告映像に出てくる沖縄の風景は、県道34号線のどこかで撮られたものである可能性がかなり高いと思う。

沖縄の小学生の塾通い(その2)

少し前に「沖縄の小学生の塾通い」について書いた。週6日くらい習い事に通っている小学生が実はここ沖縄にも結構いる、という話。

で、この話をまわりの人にしていたら「かつて自分がまさにそれだった」という人が二人。

いずれも女性だが、そのうちのひとりの方は「小学校6年生の時に気を失って倒れ」て、そのような生活に終止符が打たれたとのこと。

もうひとりの方も結局途中で爆発して、習い事は全部やめたそう。

やっぱりそうだよな。。

いま小学生としてまさにこのような生活を送っている彼ら。好きで通っているのか親の言われるままに通っているのかわからないけど、この子の親たちとしてはたぶん、いろいろキッカケを与えてこどもの可能性を広げてあげたい、という気持ちなのかな? でもそれにしては選択肢(公文、ピアノ、スイミング、英語、レゴスクールetc.)が少なすぎる気もするし、やっぱり純粋に、健康で仕事もそつなくこなせる能力を持った賢い人間になってほしいのかなという感じはする。

話は逸れるが、最近ラジオで毎朝「こども電話相談室」を放送している。これを聞いていて思うのが、おとなたちよりこどもたちのほうがよっぽどオトナッポイということ。専門家の答えにいまいちピンと来てなかったとしても(実際、専門家の説明が下手くそなケースも多数ある)、こどもたちは空気を読んで「はい、わかりました。ありがとうございました!」と、司会者が心配しなくてもうまく話をしめてくれる。なんなんだ? 

でも実際のところこういうお利口なオトナコドモが大量発生しているように思う。特に都市部。今の時代に必要とされているのは、空気を読んで自分を抑えることじゃなくて、空気なんか読まず、わからないことをわからないと堂々と言える能力だと思うんだけどな。。いまのこどもたちは真逆の方向に突っ走っているように思う。ま、まわりのオトナたちがそうなんだから仕方ないけど。

義務教育の音楽授業

妻と、義務教育の音楽の授業がなんであんなにつまんなかったのか?という話になった。

個人的には、ずばり「ダサイことしか教えないから」だと思う。

例えば楽器。縦笛なんて、学校以外で吹いてる人見たことないし。

曲も、クラシックか文部省唱歌しか扱わない。

ゴスペルを爆音で聴かせるとか、してもいいんじゃないの?

コルトレーンとか、キースジャレットとか、聴かせたほうがいいんじゃないの?

とにかくなんというのかな、音楽の素晴らしさ、楽しさ、かっこよさ、繊細さを伝える授業が、ひとっつもなかったと思う。

音楽ってもっともっと、オシャレで、かっこよくて、その人のセンスを存分に発揮できる表現手段なんだよ!

縦笛やハーモニカで文部省唱歌を合奏(ハモりとかもなかったんじゃないかな)とか、ダサすぎるでしょ。。

と、小学生の自分はいつも思ってた。

ハーモニカ吹かせるなら、最初にトゥーツ・シールマンス聴かせて、ハーモニカっていう楽器が持つ底知れぬ表現力というものをまずこどもたちに伝えてからやらせるべき。

中学の時には確かガットギターの授業があったと思うけど、ダッサイ曲やらされた覚えしかない。

とか、義務教育時代の音楽の授業って、ホントに工夫がなさ過ぎたと思う。

ああいうの、ホントにダメ。

音楽の素晴らしさを伝えられない音楽の授業とか、何の意味もない。

無題

あと2週間くらいでで半世紀生きたことになるんだけど、

今年は外的要因による大きな変化が

自分の身の上にたくさん起こるなぁ。。

いずれも、積もりに積もってドッカン系。

それも規模がやたらデカい、直下型。

溜め込むのは良くないと思います。

ふー。。

沖縄の小学生の塾通い

とある仕事を通じて、沖縄の小学生の塾通いの現状がちょっと見えてきた。

沖縄ということで、わりとのんびりやってるのかなと思ってたら大間違い。

週5日くらい塾に通っているこどもも一定の割合を占めている印象。

勉強(英語含む)だけでなく、アート(ピアノ)も、スポーツ(スイミング、サッカー、テニス)も。

本当に、頭が下がる。

自分が小学生の時はどうだったかなと思い出してみると、、学校から帰って、自転車に乗るか、同じアパートの友達と遊ぶか、家でテレビアニメを観てた記憶しかない。だからこんなにバカなのか。。

まぁでもあれだけ毎日塾に通うと、知力、体力、明らかに変わってくるだろうなぁと思う。

でもまぁ大事なのはそこで身に付けた力を何に使うかなわけで、親がなぜそこまで多額の投資して塾に通わせてくれているのか、そこもぜひいまのうちから考えてみてほしいと思います。

AKB

きのうのイベントが悪天候で中止になった。

AKBというものについての私感はさておき、今回のイベント中止についてはさすがに同情。あの巨大なやぐらステージをそのまま解体するっていうのはさすがに気の毒。。。

まぁでもやっぱり、沖縄で大規模野外イベントというのは相当なリスクがある。自分も特に夏場は外で演奏することが少なくないのだけど、実際スコールにやられたこともあり、それ以降、野外でやる場合(予算の関係だと思うけど、ほとんどの場合は屋根がない)は、申し訳ないけど大事な楽器は持っていかないことにしている。

ほんと、なんで屋内でやるという判断をしなかったのか疑問だけど、今回2万人集める予定だったらしい。そんなデカイ屋内収容施設はいまのところ沖縄にはないし、仮にそんな屋内施設を作っても日常的に稼働させられるわけもなく。

コンベンションセンターなら5000人くらい入るけど、それじゃ足りなかったってことなのか。。

そもそもこのイベントを沖縄でやるということ自体が無理があったのかな。。

リスクも当然理解しつつ、それでもこのイベントを通して沖縄に何かをもたらそうと決断したリウボウの糸数社長はすごいと思うが。。

関係者の皆さま、おつかれさまでございました。。

やりたいこと、やるべきこと(高橋洋子さんのインタビューを読んで)

大人たちは、これから成長して大人になっていくこどもたちに、「やりたいこと」と「やるべきこと」を区別することを教えておいたほうがいいような気がしている。

やりたいこと=「自分の夢」。この場合、自分≒自我ともいえる。
やるべきこと=「自分が社会から求められていること」

その意味で、こちらの高橋洋子さんという歌手の方のインタビュー記事が面白かった。

自分が高橋洋子さんのことを知ったのは1991年頃。高橋さんは当時発売された松任谷由実さんの「WINGS OF LIGHT」というものすごいライブビデオでバックコーラスをやっていて、その後エヴァンゲリオンというアニメの主題歌を歌ってめちゃめちゃ有名になった方。

高橋さんが上記インタビューの中盤で話している内容が興味深い。以下抜粋。

これ勝手な持論なんですが、あの聖人のイエスは「YES(はい)」なんだなと思ったんですよ。「はい」と肯定すること。だから人(人間)の形をとっているイエスというのはひとつのシンボルであって、「YES」と言って生きていくことを主としたシンボルのメッセージなんじゃないかと思うようになったんです。

必要のないものは来ないと思うから。そう考えたら自分がイヤなことであっても多分必要なはずなんだと思うことにしているんですよ。だから、怖いんだけど「はい」って肯定していくといろんなことが円滑に回っていくんですよ。

「私が」とか「私の」とか言っているとそれは私の学びではないというか、そういう自我を外していくってことがたぶん勉強しなければいけないことだと思うから、それを外さないで痛い目に合うんだったら外してしまえばいいじゃないかと。怖いけど、イヤだなと思っていることをやると案外そうでもないんだなってこともわかってきたし。だからとりあえず「はい」っていう。

でも、一度は反抗したりするんですよ、「ええ? そんなのおかしいよ」とか「イヤだよ」とか言うんですけど、「いや、でも待てよ。これはもしかしたら夢のなかのテストかもしれないからちょっと”はい”って言ってみようかな」と。

「はい」と肯定していこうかなと思うのは、たんに痛い目にあいたくないという理由だけではなくて、「私」っていう拘束があるから生きてて苦しいんだと思うんですよ。それがなければそんなに苦しくないと思うようになって、それを実験中なんです。

想像している範疇(はんちゅう)のことって小さいんですよ。こういうふうになったらいいのになあって思うのは自分の思考だから。

自分で決めないということは何かに全託していることじゃないですか。ってことは、あたかも宇宙図書館を味方につけたようなものだから規模が違うんですよ。自分で決めるということは、たかだか自分が生きてきた記憶と知識のなかで組まれる方程式だから、自分のリサーチのなかのホントは100点でいきたいけどだいたい平均点くらいになるんですよ。相手がどう来るかわからない時点でのリサーチだから。でも、それすら決めない場合は、決めていないからもともとの平均点もないし、全部任せると想像もしないことが起きるんですよ。

ハチは花びらが見えずに花粉が見えるっていうでしょ。でも、私は花びらは見えるけど花粉は見えないんですよ。だから自分が見ているものが正しいんだと主張することくらいムダなことはないなってすごく思うんですよ。

みんなそのシンプルな形で生きれば楽なのにわざわざ難しくしてるんだと、自分も含めてそう思うんです。そういう意味でその人には「そうなんだ」と肯定するだけでいいと、そういうふうに思ったらシンプルになりました。日々そうだなと思うんです。

結局、親は自分の子どもにどんな人になってほしいのか?

いわゆるいい私立の学校とか、そういう学校に入るための塾とか、スイミング教室とか、音楽教室とか、絵画教室とか、ボーイスカウトとか、海外留学とか、最近ではプログラミング教室とか、それこそレゴスクールとか、世の中には実にさまざまな、何らかの意味で子どもの能力を伸ばすことを目的とするしくみが用意されている。

しかし結局、世の中の親たちは自分の子どもをそういうところに通わせることで、最終的にどんな人になってほしいのだろう。

どんな人になってほしいから、そういうところに通わせるのだろう。

まぁこの理由は人によりけりだとは思うけど、親の想いとして想像できるのは、子どもの可能性を広げてあげたい、ということだろうか。

わかるような気はする。

だけど、子どもの可能性を広げるだけでいいんだろうか。

結局問われるのは、その広がった可能性、能力を何に使うのか、ということ。

そういう意味では例えば、東大を出て官僚になり、徹夜して議員の国会答弁を作る、とか、ちょっと違うんじゃないかという気はする(が、恐らく本人も相当な違和感を覚えているはずなので批難はしません)。

個人的には、もし自分に子どもがいたら、世の中に求められる人、もっと言えば、規模の大小は問わず世の中の課題を解決することに関心を持ち、そのために行動する人になってほしいかな。たぶんこの世はこれからどんどん生きていくのが難しくなる。地球環境的にも、人間関係的にも。そこで生きる人々が少しでも多く幸せを感じられるような社会にするためにはどうすればいいのか? そんなことに関心を持つ人になってほしい、かな。自分にもし子どもがいれば。

となると、課題を解決する力の前に、課題を設定する力、というのが求められるはず。

ここは結構大切な気がする。

世の中の課題に気づくかどうかというのは、その子どもの育った環境に依るのかもしれないし、依らないかもしれない。

要は、一番大事なのは、その子どもにそういうアンテナが立っているかどうかなのだろう。

アンテナさえ立っていれば、課題設定はできる気がする。

あとは、その子どもがそれまでに受けた教育で養った課題解決力を発揮すればいい。

ってことかな。

これを自分に当てはめて考えてみると、課題設定アンテナはわりと立っている気がする。小学生の頃から。解決したい世の中の課題が山のように、ある。だけど実際に課題を解決する力ははっきり言って弱い。とにかく自分は地頭が悪いし、コミュニケーション力も低い。ロジカルシンキングもまるでできないので。だから課題解決に向けた実運用部分は優秀な皆さんにお願いしたい次第。役割分担ですな。。

無題

昔から「いつかこどもの教育に関わる仕事をしたい」と思っていた。

その背景には、自分自身のこどもの頃の悲しい経験が強い動機としてある。

だけど実際に教育に関わるポジションになると、果たして自分は本当にそれにふさわしい人格を持ち合わせているのか?というところがものすごく気になってくる。

というのも、自分はこどもの頃から、学校の教師たちが、私から見て尊敬できる人格をまったく持ち合わせていないことにすごく不満を持っていた。なので余計にそうあらねばと感じるのかもしれない。

まぁ、いまからでも遅くはないはず。一歩ずつ、少しずつ、自分を変えていきたいと思う。

不謹慎な夢

不謹慎な夢を見た。

まったく、なんでこんな夢を見るのやら。

こんなこと考えたことなんて一度もないのに。

むしろ自分のスタンス的にはこの逆なのに。。

で、いったん目が覚めてそのあとにもう一度眠ったのだが、そこでまた、その夢の続きを見てしまった。

なんでわざわざこんな夢の続きまで。。

自分が嫌になる。

なにがこわいって、ときどき正夢を見るのでそれがこわい。

現実にならなければいいが。。