こないだバンド仲間のひとりが
「自分は、いくら音が汚いとしても、”あれを弾いてるのはアイツだ” と音を聴いただけで認識されるミュージシャンになりたい。それこそが自分の存在価値だと思う。」
と言っていた。
確かに。それはミュージシャンなら誰もが目指すところです。
それはそうなんだけど、でも自分のスタンスはちょっと違うかな。
自分はもともとギターやドラムをやりたかったんだけど、どちらも挫折して、結局ベースを弾いている。
で、実はギターもドラムもかなり練習したんだけど、どうしてもしっくりこなかった。
なんだけど、ベースを持ったら苦労することなくすっごく簡単に弾けて、、それ以後バンドで呼ばれるようになり、陰でドラムを練習しながらも、表向きはベースということで活動を続けていた。
この現象をとおしてわかったことがひとつ。
どんなに自分の意志でやりたいことがあっても、どうにもうまく、思うようにいかないことがある。
それは、つまり自分がドラムでどうしても上達しなかったのは、たぶん神様が「おまえはベースを弾くことで将来自分も周りも幸せになれるのだからドラムはやめろ」と言ってくれていたのだと思う。そして実際、幸せなことに今もベースを通して音楽活動を続けさせてもらっている。
というような経緯があるので、そもそもベースを弾くことについては、実は自分の意志でやっているという感じはあんまりない。。であれば、他人様のために弾くのがまっとうな自分の道だろうと。
いまでも打楽器は大好きだ。でもたまに演奏してみるとボロッボロ。。ドラムをあきらめて本当に良かったと思う。。