山田鳥夫は絶対いいバンドになる。確信した夜でした。
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山田鳥夫は絶対いいバンドになる。確信した夜でした。 那覇のライブハウス「バンターハウス」のオーナー、友利さんがわざわざ作ってくれました。 山田鳥夫、これでやっと映像でご覧頂けるようになりました。 12月2日(土)にHANK西山さんの前座で演奏させてもらったときのものです。 私は髪を切ったばかりで、超短髪です。 毎年思う。 日本のほとんどのこどもたちって クリスマスが何の日か、知らないよねたぶん。 実は親もよく分かってない、なんていうことも充分あり得そうだ…。 という話はさておき、今年のクリスマスイヴはちょっと変わったシチュエーションで演奏させてもらった。 ライブ詳細はこちら。 一番奥がステージ。鍾乳洞ということで、どんな音環境になるんだろうと心配してたんだけど、変な反響とかは一切なくてすごくやりやすかった。上からぶら下がってるつららみたいなのがうまい具合に吸収してくれてるんだと思う。 ちなみに今回もベースはヤマハSB500Sを使った。アンプは自分のローランドDB-500を持って行った。
あと、ここは2万年前に生きていた人類の祖先の骨とかが見つかっている場所。このあたりに関してオーナーからとても興味深い話を聞いたのだけど、オモテに出てないみたいなのでここでは書かないでおこうと思う。 まぁこれだけの場所なので、過去いろんな歴史があったあろうことは想像に難くない。 この日はほかにもいろいろなことがあり、なんか不思議なクリスマスイヴだった。 この人は結局、戦争したいだけ。 あと20日くらいで2018年になるけど、さすがに年内ってことはないか。 でもこの勢いだと半年以内には始まりそうだ。 アメリカはよくもこんな馬鹿なやつをトップに選んだなと思うが、事情は日本もまったく同じ。 なんというか、どんなにおかしいとわかっていても止められない時代の流れってあるんだな。 残念。 悪魔って実在するのかも。 ま、どっちにしても一度本当に破滅寸前まで行かないとわかんないんでしょう。 福島原発でもまったく反省しなかったし。 人間って不思議な生き物。
しかし沖縄、まずいな。 またしても沖縄が日本のために犠牲になるのかどうなのか。 嘉手納基地に核爆弾落とされたら、自分たちは確実に死ぬことになりそう。 じゃぁどこに逃げればいいんだろう。 ニュージーランドとか? そんなことを考えている2017年12月9日の夜。 2017年12月5日(火)の夜、キーボードプレイヤーの川満悟さんが亡くなった。 川満さんとはこの10年ほどサザンバンド沖縄でずっと一緒だったこともあり、いるのが当たり前、の存在だった。 ただ、この何年かは体調が良くなさそうで、去年くらいからは入退院を繰り返していた。 そんな中、無理をしてサザンバンド沖縄のライブに参加してもらったりしていた。 サザンバンド沖縄での最後の演奏は、今年の「名護夏祭り」だったと思う。 あの日は本当に暑くて、日中行われたリハーサルのときもクーラーが効いた控え室があるわけでもなく、炎天下のテントの中で長い待ち時間を過ごした(リハーサルが終わったらすぐ、近くのA&Wにみんなで移動したが)。 演奏は夜だったのだけど(確かトリだった)、演奏終了後、川満さんはキーボードを片付ける余力もなく、照明が消えたステージ上でペタッとひざまずいて座り込んでいた。まさに持てる力を全て出し切った、使い果たした、そんな感じだった。その後、メンバーで協力して川満さんの重いキーボードを車に載せた。 あの日は川満さんの車を自分が運転する形で2人で会場を往復した。道中いろんな話をしたのだけど、サザンバンドのことをいろいろ心配していることがすごく伝わってきた。途中、自分がつい「そこまで気にしなくてもいいんじゃない?」みたいなことも言ったりしたのけど、それだけ川満さんがバンドのことを想っているということの現れだったんだと思う。 いまから1ヶ月くらい前、川満さんが夢に出てきたのでその日慌ててお見舞いに行った。1時間ほどの私の滞在中、半分くらいは眠っていた。たまに起きてバンドについての心配事などを話した。そして時々つらそうな表情をした。どこかが痛かったのだと思う。 本当はこの日、約束していたスターダストレビューのライブDVDを持って行かなければいけなかったのに、結局ダビングできず、持って行けなかった。自分がこのDVDを持って行かなかったことに実は相当がっかりしていたはずだが、そういうことは一言も口にしなかった。 川満さんは本当に、自分の中では「いて当たり前」のミュージシャン仲間だった。だけど、自分にとって川満さんは、実はただのミュージシャン仲間ではないということ。川満さんは、自分が沖縄で初めて参加させてもらったバンドのメンバーだったのだ。 1994年当時、川満さんはヴォーカリストの凡子(なみこ)さんとふたりで「アクロッシング」というユニットを組んでいた。そこに私が加わらせてもらったのだ。 アクロッシングではいろんなところで演奏させてもらったと思う。ライブハウスはもちろん、野外イベントなどでも。当時瀬長島で行われた大きなイベントで「アイランド」の前座をさせてもらったこともいまだによく覚えている。 私はその後、アイランドを抜けたメンバーに誘われて「パーフェクトワールド」というバンドを結成し、個人的にも音楽活動が忙しくなっていく。そしてアクロッシングは、そういう私の勝手な都合でまたもとのふたりに戻った。 右も左も分からない私をバンドに誘ってくれた川満さん、そしてそのバンドを自己都合で辞めても文句ひとつ言わず、そのあとも20年以上にわたり優しく付き合ってくれた川満さん。川満さんにはお礼の言いようがありません。 川満さんは本当に音楽のことを愛していたので、たぶんまだまだ全然、弾き足りなかったと思う。この世を去る前にもっともっと演奏したかったはず…このことは間違いないし、この点については本当に気の毒でならない。 だけど、天国にはサザンバンド沖縄の初代ヴォーカリストのけんじゅんさんもいるから、どうか天国で存分にセッションを楽しんでほしいと思います。けんじゅんさんによろしくお伝えください。サザンバンド沖縄は元気でやっています。お客さんもとても喜んでくれています。 サザンバンド沖縄は今度の土曜日、12月16日に恒例のライブハウスモッズでのライブを控えている。予約者数は100名を突破したそうだ。 当日はまちがいなく川満さんも会場に来るだろう。自分たちも川満さんを想いながら演奏すると思います。どうか楽しんでください。 初お目見え。 先日、那覇市のバンターハウスでの山田鳥夫の演奏をまるごと撮って頂きました。 久保田利伸さんのライブツアーなどでも活躍されていたギタリスト、HANK西山さんの前座として演奏させてもらった時のものです。 以下をクリックすると別ウィンドウで開きます。 https://www.youtube.com/watch?v=C7xKvyjS0No ところどころ粗いですが、まぁ勢い重視のバンドなので… |
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