結局、親は自分の子どもにどんな人になってほしいのか?

いわゆるいい私立の学校とか、そういう学校に入るための塾とか、スイミング教室とか、音楽教室とか、絵画教室とか、ボーイスカウトとか、海外留学とか、最近ではプログラミング教室とか、それこそレゴスクールとか、世の中には実にさまざまな、何らかの意味で子どもの能力を伸ばすことを目的とするしくみが用意されている。

しかし結局、世の中の親たちは自分の子どもをそういうところに通わせることで、最終的にどんな人になってほしいのだろう。

どんな人になってほしいから、そういうところに通わせるのだろう。

まぁこの理由は人によりけりだとは思うけど、親の想いとして想像できるのは、子どもの可能性を広げてあげたい、ということだろうか。

わかるような気はする。

だけど、子どもの可能性を広げるだけでいいんだろうか。

結局問われるのは、その広がった可能性、能力を何に使うのか、ということ。

そういう意味では例えば、東大を出て官僚になり、徹夜して議員の国会答弁を作る、とか、ちょっと違うんじゃないかという気はする(が、恐らく本人も相当な違和感を覚えているはずなので批難はしません)。

個人的には、もし自分に子どもがいたら、世の中に求められる人、もっと言えば、規模の大小は問わず世の中の課題を解決することに関心を持ち、そのために行動する人になってほしいかな。たぶんこの世はこれからどんどん生きていくのが難しくなる。地球環境的にも、人間関係的にも。そこで生きる人々が少しでも多く幸せを感じられるような社会にするためにはどうすればいいのか? そんなことに関心を持つ人になってほしい、かな。自分にもし子どもがいれば。

となると、課題を解決する力の前に、課題を設定する力、というのが求められるはず。

ここは結構大切な気がする。

世の中の課題に気づくかどうかというのは、その子どもの育った環境に依るのかもしれないし、依らないかもしれない。

要は、一番大事なのは、その子どもにそういうアンテナが立っているかどうかなのだろう。

アンテナさえ立っていれば、課題設定はできる気がする。

あとは、その子どもがそれまでに受けた教育で養った課題解決力を発揮すればいい。

ってことかな。

これを自分に当てはめて考えてみると、課題設定アンテナはわりと立っている気がする。小学生の頃から。解決したい世の中の課題が山のように、ある。だけど実際に課題を解決する力ははっきり言って弱い。とにかく自分は地頭が悪いし、コミュニケーション力も低い。ロジカルシンキングもまるでできないので。だから課題解決に向けた実運用部分は優秀な皆さんにお願いしたい次第。役割分担ですな。。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする